恥は/dev/nullへ by 初心者

プログラミング素人がのろのろと学んだことをつづっています♪

詩ノヨミカタ

イエスタデイをうたって』というアニメは、原作に比べるとストーリーをかなり端折っている感じがしたので、アニメを見終えた後で原作を読みました。読み終えてみると、「なんか、詩みたいな物語だったかも」とぼんやり思いました。

 

色々な出来事が描かれるものの、主要な人間模様はなかなか展開しないのです。自分の気持ちと向き合うことや相手と向き合うことに時間がかかっている登場人物たち。せっかちな人が読んだら「まどろっこしい」と思いそうなスローペースです。でも、そのおかげで登場人物たちが置かれた状況や彼らの気持ちをゆっくりと味わうような読み方ができます。そういう点は、どこか詩のような感じがします。

 

これに対し、ひたすらストーリー展開が速くて、「うわっ!」とか「おっ」とか思うシーンが連続するどこかの国の映画のような物語では、1つ1つの場面に浸ったり、各シーンにおける登場人物の気持ちに思いを馳せるのは少しおろそかになる気がします(大抵は、後で振り返って味わう感じになるのかな、と)。

 

スローペースな物語にもストーリー展開の速い物語にもそれぞれ良い所があって、どちらの方が優れている訳ではありません。ただ、僕個人はどちらかと言えばスローペースで詩のような物語に浸るのが好きみたいです。

 

自分でもよく分かりませんが、大学時代にイギリスの詩を専門にしていたことも自分の嗜好に影響しているかもしれません。そんな自分が学生時代に出会い、「詩って、確かにこんな風に読むものだよね。」と納得した文章があります。それは、18世紀の詩人であるサミュエル・テイラー・コールリッジが『Biographia Literaria』という書物の中に書いた以下の文章です。(日本語訳は僕が作成したので、おかしな所があったらスイマセン)

<日本語訳>  
読者は、知りたいという機械的な衝動や、最終解にたどり着きたいという忙しない欲求だけでなく、旅すること自体の魅力にワクワクする、そんな楽しい気持ちから前に進んだ方がよい。
エジプト人が知力の象徴としたヘビの動きのように、もしくは、宙を伝う音の進路のように、一歩、一歩、立ち止まり、そして半歩後ずさる。読者は、その後ずさる動きから、再び自分を前に突き動かす力を得るのである。

 

<原文>
The reader should be carried forward, not merely or chiefly by the mechanical impulse of curiosity, or by a restless desire to arrive at the final solution; but by the pleasureable activity of mind excited by the attractions of the journey itself. Like the motion of a serpent, which the Egyptians made the emblem of intellectual power; or like the path of sound through the air;—at every step he pauses and half recedes; and from the retrogressive movement collects the force which again carries him onward.

 

まず、「旅すること自体の魅力にワクワクする」という部分が良いですね。目的地に到達することばかりを意識するのではなく、道中を味わい楽しむという姿勢。旅情を感じることを大切にしている感じがしませんか? 詩に当てはめると、ストーリーばかりを結末に向かってサーっと読み進めるのではなく、一つ一つの言葉を味わい、楽しむ姿勢が感じられますね。

 

この姿勢は、「ヘビの動きのように(中略)一歩、一歩、立ち止まり、そして半歩後ずさる。」という部分にも表れています。なお、「ヘビの動きのように」という表現も、直線的ではない読み方の比喩として、この説明にピタッとはまっていてさすがです。

 

そして、「後ずさる動きから、再び自分を前に突き動かす力を得る」という部分からは、ゆっくりと一つ一つの言葉や(その部分の)ストーリーを味わい楽しむことが、その先にある言葉やストーリーへの興味をかき立てるという意味だと思います。まさに理想的な読み方です。

 

僕がこの文章に出会ってからかなりの年月が経ちましたが、今でも詩の読み方に関する文章ではこれが一番だと感じています。